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苦難を越えて 今、新時代へ
校歌・生徒歌・巻頭言
校歌
一
火の山の 燃ゆるまごころ
若き日の われらがいのち
自主積極の 思ひもかたく
新しき 時世の学び
はげみつつ 理想に生きん
おゝ栄えゆく 第二高校
二
ゆたけしや 肥後の国原
野の末に 咲けるりんどう
玲瓏ひとり 自尊を保つ
いざ友よ 相いそしみて
ゆるぎなき 魂をし練らん
おゝ清らなる 第二高校
三
朝空に 映ゆる古城
かぐはしき 青葉楠の葉
育まれゆく 平和のこゝろ
いざ友よ 睦み合ひつゝ
楽しかる 明日を築かん
おゝ明朗の 第二高校
上田英夫
(1894~1978):作詞
兵庫県生まれ 国文学者 歌人 大正9年東大国文科卒 同10年五高教授 昭和24年 熊大法文学部教授となり、34年退官 「万葉訓点の史的研究」で文学博士 「源実朝」 歌集「早春」などの著がある。県下高校の多くの校歌の作詞を手掛ける。第二高校校歌は昭和37年初代校長広永政太郎先生が恩師である上田先生に生徒綱領をおりこんで作詞されるよう依頼したことによって実現した。
出田憲二
(1923~2010):作曲
熊本県御船町生まれ、作曲家。昭和20年北京市北京音楽学院卒。 昭和24年NHK熊本放送交響楽団入団 昭和31年熊本県警察音楽隊初代楽長。昭和35年熊本交響楽団設立・代表指揮者。同年熊本国体時に「熊本県民の歌」を作曲。昭和47年御船学園設立・理事長、熊本音楽短期大学学長。現在平成音楽大学理事長。県内の学校の校歌の作曲を手がける。出田氏は広永校長の御船時代からの知り合いで、勇壮な行進曲風のファイトのわきたつようなメロディをという願いで実現した。
生徒歌
一
銀杏城の 楠若葉
古き懐ひを 内に秘め
香りも高く 照り映えて
息吹は天に とどけよと
漲る生気 我が二高
永遠に栄ゆる 力あり
二
阿蘇の深山の 竜胆の
冷たき霧を まとひつつ
清らに咲きし 濃紫
燃ゆる生命を 一筋に
胸に秘めたる 我が二高
節をまげざる 力あり
三
星は移りて 人かはり
夢をはらめる 新しき
時代の鐘の 鳴る中に
理想を高く 揚げつつ
清しく生れし 我が二高
猛く伸びゆく 力あり
「生徒歌はもともと開校記念式典歌となづけられていた。入学式、並びに開校記念式典に校歌が間に合わない場合を想定して、稲員仁郎氏が作曲され、滝本泰三氏(当時熊高教諭)が作曲されたものである。そして昭和三十七年七月九日の職員会議で生徒歌として誕生する。」
『第二高等学校 二十年史』より
巻頭言
漠々たる碧落の下
雄偉なる大阿蘇の山裾
西金峰の秀嶺を望む
ここ詫摩が原の東に
西陲覇者の旌旗揚ぐ
青年の意気地に堕ちて
栄華惰眠の夢醒めず
濁世の風の吹きすさぶ
澆季末世のただ中に
集う二千の若人は
自主積極の気迫もち
廉恥自尊を楯として
礼節協調唱えつつ
胸に高なる潮騒を
天にとどけと謳うなり
いざ聞けわれらが青春の雄叫びを
いざ撞けわれらが時代の警鐘を
いざ歌わんかな二高朴訥の調べ
「銀杏城の楠若葉」
アイン!ツウァイ!ドライサー!
- 碧落
- (へきらく)青い空、大空、はるか遠い所
- 旌旗
- (せいき)はた、のぼり
- 西陲
- (せいすい)西の果て
- 澆季末世
- (ぎょうきまっせ)人心が濁り、道徳が廃れて人情や風俗が乱れた末の世のこと
- 朴訥
- (ぼくとつ)かざりけがなく、口数が少ないこと
- 銀杏城
- 熊本城の別名
- アイン!ツヴァイ!ドライサー!
- ドイツ語で「1!2!3!」
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